ブログで書く内容は常に新しい情報でなければならないと思っていませんか?革新的な内容ばかりを書かなければならないと思っていませんか?
僕は決してそういうことは無いと思っています。
▼目次
自分にとって「今さら」な情報が他人にとっては「新しい」
グノシーを見ていて驚いた記事がありました。下記の記事がそれです。
何故この記事を見て驚いたと言うと
「えっ!?これって誰でも知ってることじゃないの?」
と思ったからです。「iPhoneでメールを一括で既読にする方法」なんて(失礼な言い方かもしれませんが)常識なのだと思っていました。
見ればわかると思いますが、その記事はTwitterやFacebookでも広範囲で拡散されています。それはその情報を知って「助かった」「役に立った」という人が多いということです。
その情報は確かに僕から見れば「既に知っていた情報」だったのですが、他の多くの人から見れば「新しい情報」だったのです
この時は何となく目からウロコが落ちるような気持ちになりました。
情報が古いかを決めるのはあなたでは無く、読者である
普段ブログで書くことを決めるときに、強迫観念的に「誰も知らないことを書かなければならない」と思ってしまうことはありませんか?
確かに誰も知らないような情報は多くの人に重宝されますし、革新を起こすような衝撃を与えることができるかもしれません。「良質なコンテンツ」という言葉はブログを書いていれば一度ぐらいは意識したことがあるかもしれませんが、上記のような記事はまさにその条件を満たすでしょう。
しかし、だからと言って出し尽くされた情報を書いた記事の質が低いということには決してならないと思います。第一にその情報が古いなんて誰が決めるのでしょう。前項での自分がまさにそこを誤解していたのです。
「自分が古いと思っている情報は、他の人も古いと思っている」
何とも一人よがりな発想だとは思いませんか?しかし自分は無意識的にそのように考えていたように思います。
情報の古い新しいを決めるのは自分ではありません。決めるのは紛れも無くその情報を見た人なのです。
常に新しい情報を発信する必要性なんて無い
ブログの記事を読む人は常に新しい情報を求めているわけではなく「あなたが書く記事を楽しみに来ている」ということだってあるでしょう。
ブログのアクセスを増やすということは「自分のファンを増やす」ということに他なりません。継続的にブログに訪れてくれる人は情報の古い新しいという観点ではなく、あなたが提供する情報を共有したいという気持ちで訪れてくれることの方が多いのです。
ここまで言ってきたように、たった一つの記事でも読み手によって抱く価値観は多種多様です。こう考えると「ありふれた内容だから」「有名ブロガーが同じようなことを書いていたから」というような理由で断念するのは非常に勿体無いことだと思いませんか?
出し尽くされた内容の記事だって、誰かにとっては価値のある記事に成り得るのです。
出し尽くされた情報でもどんどん発信しよう
同じ内容の記事でも、書く人によっては内容は千差万別です。内容の充実量が異なりますし、着眼点が全く違うということもあるでしょう。
ある記事ではよくわからなかった事が、別の記事の内容で補完できるということもあります。そう考えると、色々な種類の記事が存在することは我々にとってむしろ有益であることがわかります。
情報というのは発信して初めて価値が生まれるものです。逆に古い新しいを気にして発信しないこと、それが一番やってはならないことだと思っています。
「こんなこと誰でも知ってるよ」と思われる記事でもいいと思います。次に訪れる人はその記事に価値を見出してくれるのかもしれないのですから。
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