堕落を許容した時、自分が見つかる。「堕落論/坂口安吾」【書評】

「堕落論/坂口安吾」【書評】

堕落は僕が最も愛するものであります。

どのくらい愛しているかと言うと、真っ昼間、部屋の中でいきなり「何もしたくねええええ!」と叫び出すほど。心の病気とかではないので、どうか引かないでください。

こんにちは。リブログネット(@yuzo0814)です。

最近、堕落という言葉に興味を持ったので、坂口安吾著「堕落論」を読みました。読む前は堕落について批判する内容かと思いきや、意外にも堕落を推奨するという予想とは真逆の内容が書かれていました。

堕落論は40ページ程度の短めのエッセイなのですが、その中で主題でもある「堕落」という言葉を取り上げて紹介したいと思います。

堕落する勇気が人間には必要

坂口安吾が言いたかったのは堕落の必要性でした。しかも中途半端な堕落ではなく、どん底まで堕落することが必要だと言い切っています。

(省略)人は正しく堕ちる道を堕ちきることが必要なのだ。そして人の如くに日本も亦堕ちることが必要であろう。堕ちる道を堕ちきることによって、自分自身を発見し、救わなければならない。政治による救いなどは上皮だけの愚にもつかない物である。

この本の結論を、僕の見解も含めつつ言うのであれば「人間は堕落を受け止め、這い上がる時、自分自身を救うための正しい道が見えてくる」ということです。

人間は堕落した時に、その助けを自分以外の何かに求めることが多いです。それは例えば政府だったり、親だったり、友人だったり。でも他人に期待するというのはほとんどの場合良い結果にならず、また期待を裏切られたときは精神的に非常に消耗します。坂口安吾が「愚にもつかない」と政治による救いを吐き捨てているのもこういう理由だからなのでしょう。他人に期待する生き方はろくでもないのです。

堕落論

そうではなく「堕落した時に自分自身で這い上がろう。そうすることで自分が本当に求めている生き方や進むべき道が見えてくるよ」というのがこの本の言いたいこと。

人は堕ちた時、苦悩し、自分と真正面から向き合うことを迫られます。それが自分を救うためには必要不可欠なのです。そういう状況は平穏に暮らしていたりするとなかなか出会えないもの。堕落が必要と坂口安吾が言ったのは、自分を見つめなおすことができる時間であるからなのです。

この考え方は、戦後に敗戦のショックから立ち直れずにいた国民たちに勇気を与えることになりました。「戦争に勝つ」という目的を無くして混乱していた日本全体に「堕落していたっていいじゃないか」と、現状を肯定する姿勢を許容したからです。その時代はまだ武士道的な固い考え方が蔓延していた時代であり、「まじめに生きることこそが日本人」という固定観念が植え付けられていたのでした。

現代を生きている僕達には正直感覚として理解しづらい部分もありますが、ここに書かれている坂口安吾の人生観には共感させられる部分が多いです。戦後の日本の歴史を理解するという目的で読んでも面白い本です。

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