糞尿から見る江戸住民の知恵──『江戸の糞尿学』

※今回は扱う本の題材がアレなので汚い単語が飛び交う記事となりますが、内容は真面目です。

「糞尿」なんて言葉を聞いたらほとんどの人が顔をしかめるだろう。もちろん僕もそうである。しかし江戸時代の人々にとって糞尿は非常に価値の高いものであり、糞尿を有効活用することは生きるための術だった。江戸の糞尿学』はそんな糞尿が江戸時代において人々の生活にどのように関わってきたかを多面的にまとめたユニークな本となっている。

同時代のヨーロッパが「不潔時代」と呼ばれるほどの悲惨さだったことは有名だが、それと比較すると江戸の糞尿の”循環システム”がいかに優れていたかがわかる。当時の世界で見ても非常に先進的なシステムだったようだ。

江戸時代は糞尿は金で売れた

知っている人も多いだろうけれど、江戸時代においては糞尿は金で売れる商品だった。現代の価値観で考えれば汲みとり業者には家庭側がお金を払う方が普通に思えるかもしれないが、江戸においては事情は反対だった。なぜかというと糞尿は肥料として非常に大きな効果を発揮するからだ。現代のように科学技術の発達していない江戸において、糞尿を肥料として利用することは作物の質と量を左右する大きな要因だった。農民にとっては糞尿はお金を出してでも手に入れたい、とても価値のあるモノだったのである。

農民は代金を払って江戸の住民から糞尿を回収し、肥料にする。そうしてできた豊穣な農作物を売りさばいて利益にするわけである。それらの米や野菜を食べたら当然ながら便として排出される。隙のない循環サイクルが実現していたのである。

江戸の住民は、農作物の消費者であると同時に、糞尿の生産者だった。近郊農村の農民は農産物の生産者であると同時に、糞尿(下肥)の消費者だった。都会と農村は、おたがいに生産者であり消費者であるという補完関係にあったのだ。見事な循環システムといえよう。

糞尿というものが人々の生活の中に当たり前のように溶け込んでいた時代だったと言えるかもしれない。少し嫌な響きではあるが。

肥桶を担いだ人が町中を闊歩するのは珍しい光景では無かっただろうし、糞尿で育った農作物は新鮮で美味しいと喜ばれていたのだろう。現代とはかなりの価値観の違いがあり興味深い。

ヨーロッパの糞尿事情

江戸とは異なり、同時代のヨーロッパにはそのようなシステムは無かった。そのため糞尿は道端に放置されるのが通常という惨憺たる光景だったようだ。さらに以下のようなおぞましい逸話まである。

当時、一般の住居には便所がなく、人々は室内でおまるを使用していた。おまるの中身はいちおう捨て場所(糞尿溜め)が決められていたが、人々は捨てに行くのが面倒なので、たいてい夜のあいだに窓から外の道路に投げ捨てた。そのとき、通行人に、「下の人、気をつけて」「そら、水がいくぞ」などと叫ぶのが風習だった。

「いくぞ」と断れば窓から糞尿をぶちまけてもいいというわけでもないと思うが、とにかくこのような惨状だったらしい。それゆえに当然というか、伝染病に悩まされることも多い時代だった。花の都と称されるパリも、当時は地獄絵図さながらだったのだろう。

このような「不潔時代」が生まれてしまった原因に「牧畜」があるという。糞尿を肥料として活用する技術自体は存在したものの、それは家畜から収集すれば間に合っていた。わざわざ街まで出向いて糞尿をかき集めようと思うような人はいなかったのである。当時のヨーロッパにおける糞尿は、江戸と違ってお金にもならなければ肥料にも使われない、ただ邪魔な存在でしかなかった。

糞尿の転換期

このように世界的に見ても江戸の糞尿の活用サイクルは見事なものだった。しかし大正期になると都市部への人口集中が増え、反対に糞尿を肥料として使用する農家は減少していった。汲み取りに際して代金を「もらう」のではなく、「支払う」ようになったのはこの辺りの時代からだという。

ついに逆転現象がおこり、農民に汲み取り料を払って汲みとってもらうようになった。「金を払うから、汲みとってくださいよ」というわけである。

その後はご存知の通り、下水道の整備によってトイレはほとんどが水洗トイレとなり、糞尿は僕達にとって限りなく秘密の領域の存在となった。「清潔なトイレ」という冷静に考えると矛盾しそうなものが当たり前のように存在するのだから、良い時代になったものである。

ただ著者はこのように糞尿が僕達の生活から消え去ってしまったことを必ずしも良しとしていない。江戸のように糞尿を資源にできないだろうか、ということを最後に呟いている。

糞尿を厄介な負の産物ではなく、有効な資源として利用することはできないのであろうか。そして、ビジネスとしても成り立たせることはできないのであろうか。もし、将来、糞尿を資源として利用する技術が確立され、またビジネスとしても有望となれば、多くの人材が集まってくるに違いない。そのことは江戸時代、汲み取りに従事する者はけっして貧農や失業者ではなく、むしろ豊かな農民や企業家精神のある者だったことからもあきらかであろう。

調べてみると、現代では糞尿は最終的には焼却されて処理されているようだ。もしそれになんらかの使いみちを見出すことができれば確かに素晴らしいことだろう。もちろん簡単な話では無いのだろうが、無駄とされているものに価値を与えることができたら非常に夢のある話だ。

おわりに

「糞尿」という視点から時代を見ると、意外や意外におもしろいことに気がつく。本書内の資料を見るとわかるが、糞尿を題材とした絵や物語が非常に多い。産業としてだけではなく、文化的な部分にまで浸透していたのが糞尿だったのだろう。

名前や表紙で敬遠される紳士淑女もいるかもしれないが、一風変わった歴史の教科書のようでおもしろいのでぜひ読んでほしい一冊。

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