読書好きが、本からの知識を無駄にしないために / 『読書について』(ショウペンハウエル著)

ショウペンハウエル著「読書について(他二篇)」の中の表題作である『読書について 』を読みました。Kindleを購入してから読書をする時間が圧倒的に増えた自分にとって、この本は大いなる気づきを与えてくれる素晴らしい本でした。

この本の内容を1冊まるまる取り上げてもいいのですが、今回は文中の一節に考えさせられる部分があったので、そちらを中心に思考してみたいと思います。

読書は他人の考えた過程をたどっているだけにすぎない

先程言った「考えさせられる部分」とは、以下の一節。

すなわち、紙に書かれた思想は一般に、砂に残った歩行者の足跡以上のものではないのである。歩行者のたどった道は見える。だが歩行者がその途上で何を見たかを知るには、自分の目を用いなければならない。

雑に解釈するなら「読書で学んだことはお前が生み出した思想じゃないんだから、新鮮さもないし、役にも立たないぜ」といったところでしょうか。ショウペンハウエルは哲学者だったので、思想を生み出すに至る「過程」をむしろ重要なものとして考えていたのではないかと思います。

sand-181273_640-min

確かに読書をすれば、そこに書かれている知識を自分のものとして使用することができるかもしれない。しかし所詮それは「他人から生まれた知識」。それをさも自分が考えついたように振りかざすのは、浅はかで、どこか滑稽であるように思えてしまう。

「どうせなら読書から学んだことを、書かれている以上のレベルで自身に根付かせることはできないだろうか?」
「さらに言うなら、自分のオリジナルの知識として昇華できないだろうか?

そしてこれが、今回の記事のテーマだったりします。

読書から得た知識を、真に自分のものにするにはどうすればいいか

本に書いてあることも、単に読み取るだけでは受け売りで終わってしまいます。そうならないために、本から得た情報に対してアクションを起こす必要があると考えます。

熟慮を重ねる

ショウペンハウエル先生の言葉を拝借するのであれば、「読書は、他人にものを考えてもらう」ことに他なりません。ただ読書をするだけでは、その時点で思考が停止しているということです。

その状態を避けるためには、本に書かれている内容を、自分なりの視点で考えぬくことが必要になるのでしょう。

だが熟慮を重ねることによってのみ、読まれたものは、真に読者のものとなる。

書かれている内容に、常に疑問を持つことも大切だと思います。本に書かれているからといって、それが絶対的に正しい原理原則であるわけではないのですから。

one-kara(3)

得た知識を自分なりに咀嚼し、精神に定着させる。このプロセスが無いとただ「本を読んだ」という事実が残るだけで、時間の無駄にしかなりません。

他の分野と融合させ、応用してみる

仮に本で読んだ知識を、自分が保有していた他ジャンルの知識と融合させて、全く新しい思想や理論を生み出したとしたら、それは非常に意義のある結果と言えるでしょう。代表例だと「もしドラ」がそれにあたります。あの本は、野球部のマネージャーの仕事に、ドラッガーの経営論を組み合わせて新しい価値を生み出したわけです。

range-817434_640-min

何かしらの新しいものを生み出す方法として、NewsPicks編集長の佐々木紀彦氏は「異分野・異能・異文化・異世代・異時代の融合」を紹介しています。

参考:クリエイティブなコンテンツを創るための「5つの融合」 

読書によって得た知識に、上記の5つの視点を掛けあわせてみることで、思わぬ価値を創造することができるかもしれません。

仕入れた知識は、アウトプットする

アウトプットすることが知識の定着率をグンとアップさせることは、テスト前に友達と問題を出しあった経験で、誰もが理解していることかと思います。あのやり取りは、「クイズに答える」「問題を出す」というアウトプットによって、内容が強く記憶に残るのです。

読書した内容も、アウトプットの場を作ることでより効率よく自分に根付かせることができます。例えば「ブクログ」などのレビューサイトに書評を投稿してもいいですし、SNSをメモ代わりに利用するのも面白そうです。

こうしてブログで本から学んだ内容を取り上げることも非常におすすめです。むしろ現代ではこれ一番いいと思っています。ブログで記事として書けばそれがコンテンツのひとつになりますし、後々それが財産になってきます。

blogging-336376_640

またアウトプットの方法は「文章で書く」という方法以外にも、「行動に起こす」ということも考えられます。本で学んだことを実際に日常生活に取り入れ、試行錯誤する。これだって立派なアウトプットです。

「読むための読書」にならない意識を

今回は、読書から学んだ知識を、ショウペンハウエル先生の言う「砂に残った歩行者の足跡以上のもの」にするための方法を、僕の稚拙な脳で考えてみた次第です。

とにもかくにも、学ぶだけでは知識は働いてくれないということですね。技術でも同じことが言えますが、修得した後にそれを活用して初めて意味を持ちます。学んだあとに、どこかに発信するなり、生活に変化を与えるなりしなければ、無駄でしかありません。冷蔵庫で食べ物を腐らせて捨てるようなものです。

読書の目的を「読むこと」ではなく、「そこから何を学び取るか」という部分に常にシフトしていくことの重要性を、今回は再認識できました。名著すぎて今さら紹介するのもおこがましい気もしますが、目からウロコの素晴らしい本でした。読書というものの原点に立ち返ることができますよ。

SNSでもご購読できます。