『異文化理解』自国文化をより正しく知るために

「ネット右翼」などの発言を見ていると、この人たちは批判できるほどに相手の国の悪いところと自国の良いところを理解できているのだろうか、という疑問をいつも抱く。批判的な視点に立つとすれば、そこには相手に対する深い理解を同時に持っていないければ成り立たない。しかし彼らを見ていると単に気に食わないところをその国全体の性質として敷衍し、都合よく叩いているようにしか見えないのである。さらに言うなら自国文化に対する理解があるのかも怪しい。

最近よく見かける「日本礼賛」的な番組も、角度が違うだけで同様の印象を受ける。日本の良さを発信するというのは素晴らしいことだ。ただそこでも単にゴリ押しするのではなく、まず異国文化を正確に理解し、その上で日本にしかない要素を伝えていく必要がないだろうか。盲目的に西洋文化を良しとしていた時代に比べればマシなのかもしれないが、それでもそういった番組のほとんどは一方的な押し付けをしているように見えて、違和感を感じる。

こういった例から見るに、異文化を理解する必要性はますます高まっているのに、肝心のその方法を自分たちはよく理解していないように思う。本書を読んだ動機は、その問題に対する助けとなってくれるのではないかと考えたからだった。

異文化は「決めつけ」に陥りがち

異文化に触れたとき、そこには主に二つのアプローチが存在する。ひとつは「憧れ」であり、もうひとつは「軽蔑」である。これはもちろん個人差があるわけだが、それでも誰しもが思い当たる節があるのではないだろうか。近代の日本は西洋文化を吸収して発展してきたわけなので、意識下に西洋に憧れを持つ傾向がある。 そして問題なのは、その憧れが強いほどそれ以外の文化を軽んじて見る傾向が生まれることだ。例えば日本から見た中国文化などはその傾向が強いという。日本は江戸時代頃までは漢字や儒教を取り入れて発展してきたので、異文化の中心は中国だった。それが西洋に学ぶようになった途端、手のひらを返すように中国文化を軽視するようになってしまった。欧州各国と比較して、中国を劣ったものとして見るようになったのである。

そして何よりの問題は、文化を憧れるのも軽蔑するのも、その判断を非常に「断片的な知識や印象」によって行っていることだ。異文化を根底まで理解することは難しいので、どうしてもそれを好き嫌いという個人的な感情で優劣をつけてしまう。このように異文化を「断片的な印象から大ざっぱに類型的な形づけを行ってしまうこと」を、本書では異文化を「ステレオタイプ」的に捉えるというように表現している。つまり、都合よく決めつけてしまうわけである。

未知の領域のものに対して極端な態度に出てしまうのは、ある意味では必然なのかもしれない。しかしこれだけ異文化との交流の重要性が増している現代では、そのような認識は通用しないと著者は言う。

それは人間にとっての異文化が持つ宿命なのかもしれませんが、ただ、現在のように異文化をどう捉えるかが非常に重要になってきた時代においては、近代日本のように憧れと軽蔑といった二元的、あるいは好か悪かといった両極端の捉え方ではすみません。

では異文化理解がステレオタイプに陥らないようにするには、どのような点に気をつければよいのだろうか。

異文化を正しく理解するための方法とは

確かに異文化をステレオタイプ的に捉えるのは誤りである。しかしここで理解しておきたいのは、そうしたイメージに根拠がまったく無いというわけでもないことだ。例えばかつては「日本人はエコノミックアニマルだ」などと言って揶揄されたことがあり、それは日本人がステレオタイプ的に捉えられた典型的な事例だろう。当然ながら日本人の誰もがそのような利潤第一主義だったわけは無いのだが、しかし外国から見てそういう面があったことは事実なのである。つまりステレオタイプ的な認識があったとしても、それを頭から間違ったものと否定するのも正しいとは言えない。

つまり自分たちがステレオタイプ的な見方をされたときは、感情的に反発するのではなく、そこには必ず原因となる事象があるわけなので、それを冷静に受け止めることが大切となる。そしてそれとは反対に、異文化を理解しようとするときは、断片的な情報で知らずにステレオタイプに当てはめていないかを常に疑う。このように冷静かつ客観的な態度で臨むことが文化を相互理解する上での「一つの大きな方法」だと著者は言う。

特にマスコミが発達し、インターネットが全盛となっている今の時代は、素早く情報に到達できるかわりに、断片的な情報で満足してしまいやすい。異文化をステレオタイプ的な見方をしてしまう危険性が高い時代なのである。もちろん情報を容易に入手できることで異文化理解が促進される恩恵もあるので、一概に悪いということではない。ひとつの情報ですべてを知った気にならず、多角的にものごとを見つめていく視点が必要となるのだろう。

おわりに

自分は日本の良いところをもっと知りたいと思っている。しかしそれは日本だけを見ていれば理解できるものでもない。どうしても他の文化を理解する必要性が生まれてくるわけである。例えば日本語には自然現象を表す言葉が多く、それは日本人が風景のかすかな変化にも美を見出すことができたから、という話をよく耳にする。しかしそれが本当かどうかは外国語を吟味してみないとわかったものではない。外国にだって日本語と同様にそういった言葉が多いかもしれない。そう考えると、やはり外国に対する正しい理解がなければ自国の良さを語ることは難しいのである。

では異文化を正しく理解するにはどうするのか。その疑問に答えを出すために本書を読んだ。やはり異文化理解というのは難しいテーマであり、簡単に答えを出せるものではないという印象を持ったが、それでも大きなヒントを与えてくれたように思う。移民問題や東京オリンピックなど、異文化を意識せずにはいられない今だからこそ読む価値が高い本だろう。

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