「正しく生きる」を考えさせるーー『君たちはどう生きるか(岩波文庫)』

数週間前からダラダラと読んでいたら、宮崎駿監督の次回作がまさにこの『君たちはどう生きるか』になるという話を聞いて驚いた。それならばと一気に読んで記事にまとめた次第である。

本書は1937年に「日本小国民文庫」シリーズの最終刊として発表され、現代においても岩波文庫などで増刷され続けている。1930年代といえば有名な五・一五事件などにも代表されるように軍国主義が強まってきた時代であり、それにより国内には鬱屈した雰囲気が漂っていたらしい。そういった時勢にせめて子供たちは流されずに健全な精神を育んでほしいという想いから刊行されたのが「日本小国民文庫」シリーズであり、そのなかで倫理をテーマとしたのが『君たちはどう生きるか』だった。

あらすじとか構成とか

本書の構成上の特徴として二つのパートが繰り返されながら進行する点にある。ひとつは中学生のコペル君の日常において起きた出来事が描写されたパート。もうひとつはコペル君の叔父さんが彼に向けて書いた「おじさんのノート」のパートである。

中学生というのは多感であり精神が大きく成長する時期だ。主人公のコペル君こと本田潤一も同様であり、学校で起きる出来事に直面し、様々なことを思い悩む。浦川君の「油揚事件」、友人のお姉さんが語る「英雄的精神」、そして「上級生リンチ事件」における裏切り。ここではコペル君の観察や心理描写が中心となって展開されていく。

そういったコペル君なりの思索に対するアンサーであり、ときに問題提起にもなっているのが「おじさんのノート」のパートだ。これは叔父さんがコペル君に向けて書いたノートという体裁となっている。例えば叔父さんが語るのは、主観と客観があり自分たちは地球のなかの一分子でしかないこと、「感動」から出発して思いを深めていくことの大切さ、苦痛が持つ役割、などである。また単に返答するというわけではなく、ときに叔父さんは逆に質問をしてコペル君をより高い次元への思索へと導いていこうともする。

最後に本書は「君たちは、どう生きるか」と問いかけて終わりを迎える。コペル君の成長、叔父さんの言葉を通し、読者にそれを考えさせるのが『君たちはどう生きるか』だと言える。

『君たちはどう生きるか』を僕たちはどう読むか

本書はもともとが子供向けであり、加えて戦後から語彙も平坦なものに改められている。それは良いことなのだが、一気に読めてしまうため下手をすると読後に大した印象も残らないということになりかねない。そうならないためにはどうすればいいか。

やはり大切なのは主人公のコペル君に自身を投影することだ。本書はコペル君の精神的成長が骨子となっており、そこで生じる疑問や悩みについて読者も考えてみなければならない。叔父さんがコペル君に投げかけてる問いは、同時に読者に向けても問いかけられているのである。

「本当に人間らしい人間関係とは」
「消費専門である人間でも生み出せるものとは」
「ナポレオンの真に偉大なところとは」

文中で投げかけられるこういった問いに直面したとき、少しの時間でもいいから本を伏せ、じっくりと考えてみる。それが『君たちはどう生きるか』の読み方だと自分は思う。

おわりに

本書は中学生なら誰でも経験したような出来事から展開されていくので、誰しもが感情移入しやすいはずである。特にコペル君が些細な過ちから友人たちを裏切ってしまい苦しむ一連の場面は、自分でも似たような経験があったような気がして身悶えた。そういった生々しさもこの作品の魅力だ。

「どう生きるか」というのは誰もが考えるようなことだがそれだけに難しく、それでいて人間なら絶対に避けられないテーマだ。だからこそこの本のなかの言葉に触れたとき、感銘を受ける何かが必ずあるはずである。


SNSでもご購読できます。