「ことば」からわかる日本人の特徴的な性格『ことばと文化』

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最近は「言葉」というものに興味を持っています。言語学なんていう大層なものではないけど、こうして日本に生まれ、こうしてブログを書いたりするのであれば、自国の言葉について多少なり知識を深めておくのは悪くないと思ったからでした。

そんな知的好奇心が湧いた時は、本から知識を供給するに限ります。そして読んでみたのが以下の本。

文化が違えばことばも異なり、その用法にも微妙な差がある。人称代名詞や親族名称の用例を外国語の場合と比較することにより、日本語と日本文化のユニークさを浮き彫りにし、ことばが文化と社会の構造によって規制されることを具体的に立証して、ことばのもつ諸性質を興味深くえぐり出す。ことばの問題に興味をもつ人のための入門書。

何の気なしに買ってみた本だったのですが、べらぼうに面白かった。興味深い話の連続で、ひっさしぶりにページをめくる指が止まらなくなる本でした。

今回はその中でも自分が興味深かった「言葉からわかる日本人の性格的特徴」についてまとめつつ感想を書いていきたいと思いますよ。

「西洋文化=正しい」と思ってしまう日本人

日本人である自分自身が考えても、日本はなにかというと西洋文化を崇高なものと捉える心理が強いと思います。「ヨーロッパがやっていることなら間違いない」というような感情に、誰しも心当たりはあるのではないでしょうか。アメリカなどにも同様の心理が働くことが多いです。

ただ著者によれば、そういった西洋礼賛的な考えは大きな誤りだとのこと。そう主張する具体例を、ヨーロッパと日本の景観を例にして示しています。

ヨーロッパの街を歩くと、一番に目につくのは綺麗な芝生です。そういうのを見ると、ややもすると「やはりヨーロッパは美的感覚が優れているから、芝生ひとつにも気を配っているのだろう」と思ってしまいがちです。

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しかし事実はそうではなく、単にヨーロッパの気候では芝生が日本と比べてほとんど成長せず、頻繁に手入れをしなくても綺麗に保つことができるからなのだそうです。日本のように放置しておくとすぐに生い茂ってしまうような環境が、そもそも無いというわけですね。

つまりは問題なのは、本来は日本にのみ存在する特徴や事象を勝手に西洋にも当てはめて、「ヨーロッパすげえ!」と思っていることにあるわけです。

先の例だと、西洋の芝生を「芝生=手入れが大変なもの」という日本と同様の特徴があるものと勝手に思い込んでいたことが愚かしいわけですね。単純に日本の価値観を、西洋にも当てはまるものと考えてはいけないのです。

日本人がこのように西洋に習うことが癖になってしまっていることについて、著者は日本の近代化の成り立ち方に原因を見出しています。

日本の近代化そして西洋化という一大文化変容が、大量の人間の移動を伴う征服や移民という文化的変容の定石をふまず、ひたすら「ものと文献」という人間の直接的接触をできる限り捨象した極めて例外的な形で行われてきただけに、ことばにたより切った外来文化受容の問題は、言語学の避けて通ることができない重要な問題である。

日本の西洋化は「ことば」のみに頼った間接的な方法で行われたので、見習うべき西洋の文化の根本を深く知ることができず、ただ「西洋に見習えば間違いない」という考えだけを日本人に植え付けてしまったのでしょう。

こうして考えると、日本人に愛国心が薄く、多様な民族がひしめくアメリカ人に愛国心が強いというのも、これがひとつの理由となっているように思います。ただアメリカもそれによって黒人差別などの問題を抱えることになったので、一概に何がいいとも言えませんが。

この章の最後に著者は「日本の現実をはかる尺度は、日本それ自体に求めるべき」と言っています。

私の考えでは、日本語を、そして日本的現実をはかる尺度は、日本語それ自体、日本的現実それ自体に求められるべきだと思う。

無闇に西洋文化を見習うのではなく、まずは日本人の価値観で物事の良し悪しを決めるべきということですね。見習うにしても、その文化の背景を充分理解した上で取り入れる必要があるのでしょう。ろくに知りもしないで愚直に異国文化を見習うことは、基本的にはリスクが高いのです。

日本人は上下関係を重視する民族

日本と海外の言葉の用法の違いを見ていくと、その国が持つ文化的な特徴が見えてくるというのが、この本に書いてある最も面白い部分です。

例えば父と子の会話だけに焦点を置いてみるだけでも、「日本人は対人関係において、特に上下関係をハッキリさせることに重点を置く」ということがわかってくるのです。

父が子に話しかけるときの自分の呼び方――本書ではそれを自称詞と呼ぶ――で、「パパ」「お父さん」と言うことがあります。これは誰しもが当たり前に使っているように思うかもしれませんが、英語には無い用法です。なぜなら英語ではほとんどの対話において「I↔you」という相称で済んでしまうからです。

英語では父と子の対話との中で、自称詞として「father」「your father」は使えないのです。使ったとしても、かなり限定的な状況になります。一般的には「I」のみを使います。

この違いを見ていくことで、日本において父親が自分をパパと呼ぶのは「子に自分が父親ということを示す」という隠れた意味合いを持っていると考えることができるのです。

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また今度は父が子を呼ぶ時の呼び方――これを対象詞と呼ぶ――を見ても、日本語には上下関係を明確にしようとする特徴があります。

父が子を呼ぶ時の対象詞として考えられるのは、「名前」「お前」などがあります。では英語だとどうなるかと言うと、やはり「名前」「you」などです。

一見すると両方とも違いが無いように思いますが、やはり明確な違いがあります。それは日本では父が子を「お前」と呼ぶと上の立場を示せるのに対して、英語における「you」にはそういった意味合いを持っていないことです。対話の中で、日本では子が父親を「お前」と呼べない(荒んだ家庭で無ければ)のに対して、アメリカでは「you」と呼んでも不自然さを持たないことを考えてもらえばわかると思います。つまり父が子を「お前」と呼ぶのは、少なからず「俺の立場の方が上だぞ」と示す意味を含んでいるのです。

つまり自称詞だけでなく、対象詞においても日本では「自分と相手の関係性を上下に分ける」という特徴が見えてくるのです。

このような特徴が見えてくると、日本において「男尊女卑」「年功序列」などの立場によって扱いが変わるシステムが多いことも、そういった言語的な特徴が関連していると考えることができてくるわけです。ほとんどをIとyouで済ませるアメリカは、個人の能力を尊重するなど対照的です。

まさに「ことばと文化」の密接な関係が、外国と比較してみることがわかってくるわけですね。

日本人が未知の人間と話すのが苦手な理由

日本人は、自分が置かれた環境や状況によって自己を規定するという特徴があります。例えば先ほどの父と子の例でも、父親にはまず自分が結婚して子供がいるという状況があり、さらには自分を「パパ」と呼ぶ子供がいるからこそ、会話の中の自称詞として「パパ」を使うわけです。つまりは「相手から見て自分がどういった存在なのか」を重要視するわけですね。

このことからわかる日本人の特徴として、著者は「日本人が未知の人と話すのが苦手であることと関係がある」と述べています。

日本語に見られるこの自己規定の対象依存的な構造は、私たち日本人が未知の他人と、気安くことばをかわすことを好まないという行動様式と無関係ではないと思われる。相手の素性が分らないということは、相手と自分との関係が決定できないことを意味する。従って話者の自己は不安定な未決状態におかれたままになり 、安定した人間関係を組むことができにくいのである。

それを表す最たる事例として、外国人に話しかけられたときの日本人の様子が示されています。英語を話せないということは人格に大きな影響を与えることはないので、喋れないならそれはそれで堂々としていればいい。しかし、多くの日本人はどぎまぎしたり、逃げ出してしまったりと、全体的に萎縮した態度を取るのだそうです。

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外国人という相手との対話は自己を規定できない状況なので、日本人は心理的にかなり追い詰められてしまうというわけです。

またこのような「相手によって自分の立ち位置を変える」という日本人の特性が、「空気を読む」「気を利かせる」「察しが良い」などが美徳とされる文化形成の理由となっているらしい。これは非常に面白い特徴だと思います。著者は、それらは海外では理解されにくい概念という。

日本人が国際社会において発言力が弱いとされるのは、言わばそういった「相手に合わせる」ということを期待しているということも一因があるようです。日本人同士の会話では、お互いが相手に合わせようとするコミュニケーション方法を取りますが、海外ではそれよりもまず「自己主張」を重きにしたコミュニケーションを取ります。

言語力よりも、そういった自己主張の弱さを改めなければ、いつまでたっても日本の立場の弱さは改善しないという著者の指摘には非常に納得させられます。

日本人は様々なものに価値を見出すことが得意

本書を読んで最も心に響いたのは、「ことばが存在するのは、その対象に価値を見出したから」という指摘部分でした。

ものにことばを与えるということは、人間が自分を取りまく世界の一側面を、他の側面や断片から切り離して扱う価値があると認めたということにすぎない。

日本語はひとつのものにも色々な言葉があって、面倒くさいと思ったことはありませんか? 例えば雨を表現する言葉ひとつでも「時雨」「五月雨」「村雨」「秋雨」「朝雨」……などなど、あげればきりがありません。英語なら全て「rain」で片付いてしまうのに。

ただそれは日本人が雨という事象ひとつにも、季節や場所によって様々な価値を見出してきたということでもあるわけです。僕はそんな日本人の感性を、とても美しいものに感じます。面倒くさいなんて思ってしまうのは、非常にもったいないです。

そんな日本語の面白さ、日本人の素晴らしさを本書は感じさせてくれました。本当に久しぶりに心から読んでよかったと思える本でした。張り切りすぎて文章長すぎてすみません。

ことばを通して海外の文化を見ていくことで、あらためて自国である日本の良さをわからせてくれる良書です。ぜひ手にとってほしい本です。約40年前の本ですが、色褪せません。

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