より良く、正しく学ぶための方法/『学びとは何か』

本当に使える「生きた知識」とは何か。そしてそれはどのようにして学べばいいのか。それを認知科学の視点から考察しているのが本書である。

以前に読んだ同著者の『ことばと思考』でもそうだったように、子どもを例に学びのプロセスを理解させてくれるのがわかりやしいです。記事にもまとめてあるのでよろしければどうぞ。

ほんとうに役に立つ「生きた知識」とは何か

まず本書のなかで言う「生きた知識」とはどういったものなのか。ざっくり言えば、アレコレと難しく考えなくともごく自然に使うことのできる知識。それが生きた知識である。

語学で考えるとわかりやすい。例えば誰しもが英語の授業で「a」と「the」の使い分けについて何度も説明されたことだと思う。しかしそのときに一応は理解できたものの、実際に英語を話したり書いたりするときに正しく使い分けるのはかなり難しい。自分もとうてい無理だ。それに対して母国語である日本語ならどうだろうか。特に理由なんて考えなくとも、限りなくパーフェクトな使い方ができているはずだ。その点で見たとき、前者は「死んだ知識」だが、後者は「生きた知識」と言えるのである。

しかし多くの人が両方をひとくくりに「知識」と認識してしまっているのが現実だ。しかしそのような認識ではいつまで経っても自分のなかに生きた知識は蓄積されない。それとは逆に、正しい学び方を理解している人間は、どんどん生きた知識を積み重ねていき、特定の分野に塾達していってしまうのである。それはやはり悔しい。

では生きた知識を学ぶにはどうすればいいのだろうか。

「思い込み」を捨てる

自分たちが何かを理解しようとするとき、必要となるのは事前に持っている知識で「行間を埋めていく」ことである。世の中は何事もすべてが説明されるわけではない。むしろ言葉の裏にある意味のほうが多いぐらいだ。そういうときに求められるのが自分なりの解釈で行間を埋めていくことであり、そのためにはある程度の知識が必要となるのである。本書ではこのような事前知識を「スキーマ」と呼んでいる。

注意しなければならないのは、仮にそのスキーマが誤っていたときは、それによって獲得する知識まで誤ったものになってしまうことだ。極端すぎる例だが、仮に「1」という数字を「7」として、「3」という数字を「8」として教わった子どもは、その後の学習でどのような結末をたどるだろうか。考えるのも恐ろしい。つまりそもそもの土台となる知識が歪んでいるわけなので、その上に何を乗せても無駄になってしまうのである。

またもうひとつの注意点として、いちど思い込んでしまった知識というのはそう簡単に修正できないことがある。何かを思い込んでしまったとき、人はその思い込みを正当化する知識だけに目を向け、逆にそれを否定する情報には目を閉じてしまう困った性質がある。例えば自分なんかも「病棟」という言葉を「びょうれん」と長きにわたって読み間違えており、なんとか頭のなかで修正したのが何年も前。しかし今でも油断すると読み間違えそうになってしまう。それほどに「思い込み」というものが持つ力は凄まじいのだ。

スキーマが誤ったものであると、何が起こるか。問題解決に必要な情報に目が行かず、関係ない情報にばかり注目してしまう。スキーマに合うように情報(あるいは学習するべきテキストの内容)を理解してしまい、それを記憶してしまう。その結果、誤った思い込み知識(誤認識)は、修正されるどころか、強化されてしまう。そういうことが繰り返されるので、誤ったスキーマの修正は難しいのである。

こうやって言うとスキーマが邪魔者のように思えてしまうが、そういうことではない。むしろ何かを学ぶときにスキーマは絶対に必要なものなのである。人間というのは自分がもつ知識を外部に投げかけ、それによって返ってきた反応を自分なりに解釈することで初めて知識を習得できる。大切なのは誤ったスキーマを持ったとき、それを認め、修正していくことだ。先ほども言ったようにそれは容易ではないが、それでも世の中で一流と呼ばれている人はその「思い込み」を排除するための時間を必ず生活のなかに取り入れている(例として棋士の感想戦などが本書ではあげられている)。

スキーマは正しい知識を獲得するうえで欠かせないものだが、しかしそれが蓄積されるほどに「思い込み」も生まれやすくなる。そんな相反する両面を持っている。このバランスを取っていくことが正しく学ぶうえで必要になるのである。

そもそも熟達という過程は対立する二つの方向性に折り合いをつけなければならない過程にほかならないのだ。

「自分で発見する」ことの重要性

学ぶうえで思い込みを排除することは大変なことであり、それゆえに重要なことでもあるが、それだけではまだ足りない。知識はシステム化させることで初めて「生きた知識」へと昇華されるからだ。

英語の語彙だけをいくら増やしてもそれだけでは堪能に話すことができないのは、それがその段階では単なる知識の断片だからである。問題なく会話できるレベルの語彙力を養うには単に意味を知るだけでは不足で、別の単語との関係性やどういった使い方ができるかをも理解していなければいけない。生きた知識とは断片的な事実を寄せ集めたものではなく、限りなくシステム化された集合体なのである。

「システム化する」と言うとややこしいが、本書ではその具体的な方法として「自分で(その知識の意味や重要性を)発見すること」をあげている。例えば子どもがあれだけの速度で母国語を習得するのは、生活のなかで親が発する言葉を模倣し、自ら積極的に試行錯誤しているからである。覚えた言葉をやたらめったら話してみて、そこから返ってくる周囲の反応で言葉の意味合いを自分なりに推測していく。単純ではあるが、ここには連綿とした仮説と検証のプロセスがあり、システムの構築という点ではこれ以上に有効な方法もない。自分でたどり着いた知識というのはその時点でシステムとして完成しているのである。

言語を使うために子どもは「外にある知識を教えてもらう」のではなく「自分で探す」。要素を見つけながら、要素どうしを関連づけ、システム自体も発見していく。自分で見つけるから、すぐに使うことができるのである。

子どもの学び方から大人も学ぶことができる。つまり生きた知識を得るためには科学的な思考方法が求められるということだ。単なる事実を頭に放り込むのではなく、自分なりの仮説を自分なりに検証し、たとえ拙くても自力で答えにたどり着くような考え方。つまり「体に知識を染みこませる」ことが生きた知識を習得するうえでは最も効果的ということになるのである。

文章で書くとまだるっこしいが、どのような分野でも一流として活躍しつづけている人は、多少の方法の違いはあれどこのように自分なりの仮説と検証を繰り返している人なのだろう。

おわりに

記事はここで終わりとなりますが、本書ではこの後も一流の達人たちの集中力を維持する方法などが科学的な視点から述べられている。つまり学び方を理解するだけではなく、それを人生で継続させる仕組みも必要ということだ。そのあたりも詳しく知りたい方は読んでみてください。

また本書の参考文献にもなっている以下の本もおすすめ。


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