推敲しない文章はボロボロなのが当たり前『数学的文章作法 推敲編』

数学が嫌いなことから敬遠していた本だったのですが、「嫌いだからこそ学ぶ部分が多いのでは無いか」と意識の高いことを考えて読んでみた文章術の本。

根っからの文系である自分をさぞ苦しめてくれるのだろうと恐怖しながら読み始めたのですが、意外や意外、かなり丁寧で読みやすい本でした。

タイトルに「数学」という文字を使っているものの、この本は数学的なアプローチを活用して文章を作成していく、という類の本ではありません。例として出されている文章に数式などが使われているだけなので、数学という文字を見るだけで吐き気を催す人でもスムーズに読めちゃいます。

さてこの本で扱っているのは、文章を書いている人には切り離せない「推敲」です。個人的には推敲に関する技術うんぬんよりも、その心構えについて書かれた部分が非常に教訓となりました。そこを中心に感想をば。

推敲を怠ることは、読者に甘えること

まずこの本全体で、推敲は「”読者にとって”わかりやすい文章」を作っていくことが大切と述べています。

著者は推敲を行うときに「この文章は正しいか」だけではなく「この文章で読者に正しく伝わるか」を意識することが大切なのです.

特に重要なのが「読者にとって」ということです。わかりやすさを追求していっても、その文章を書いた人間だけがわかりやすくては意味がありません。書いた人がわかりやすくても、それを読む人が理解できなければ、それは結局は他人の理解力に文章を委ねることになってしまいます。それは甘えでしかありません。

ブログや書籍の文章は読んだ人に理解してもらうことで初めて価値が生まれるので、必要なのは「読者の目線から見たわかりやすさ」になります。その書き手と読み手の間にある理解の溝を埋めていくために、推敲が必要となるわけですね。

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ブログの場合はいつでも修正ができるという性質を持っているので、この推敲を怠りがちな人が多いです(僕含め)。しかし本書には「修正はたしかに簡単だけど、修正する前の文章を読んで帰ってしまった人もいる」というグサッと来る指摘が書かれています。

文章が紙に印刷される場合と異なり,Webページの場合は,たとえ誤りがあっても容易に修正できますから,つい「いつでも修正できるからもう終わりにしよう」と考えたくなります.しかし,このような気の緩みは大敵です.いつでも修正できるのが本当だとしても,誤りを修正するまでは,誤りを含んだ文章を読む人がいることを忘れてはいけません.

論理的に破綻している部分や誤字脱字がある文章を読んだ人は「このブログの管理人は推敲もまともにできない人なのか」と思うはずです。それを指摘してくれればいいですが、ほとんどの人はそのまま帰ってしまうでしょう。それはあまりにも悲しく、寂しい。そして虚しい。

そんな思いをしないさせないためにも、紙やWEBの媒体問わず、文章を書くあらゆる人間にとって推敲はとても大切なのです。

推敲をしない段階では文章はボロボロなのが必然

推敲にもテクニカルな部分が必要ではありますが、何より大切なのはその心構え。目的や必要性をしっかりと理解しておけば、自然と正しい推敲ができるようになります。

推敲が必要な理由は「書き手と読み手の溝を埋めるため」と言いましたが、もうひとつに「書き上げた段階ではボロボロなのが文章というもの」だからです。

どんな書き手が書いたものでもの,書き上げたばかりの文章はかなりぼろぼろです.大切なのは,何度も推敲してより良い文章に仕上げていく根気と技術です.

そう言っている文章が誤字ってるのがなんとも悲しいですが(原文まま)、心構えとしては最重要ですし、推敲の必要性がよくわかります。

世の中には一発で完璧な文章を書いてしまうような天才もいるでしょう。残念ながら僕たちは凡人です。それならば書き上げた段階の文章で妥協せず、推敲によって段階を踏んで良い文章に近づけていく他にないのです。

推敲の際は読者になりきる

では推敲の際に必要なのはどういった考え方なのでしょうか。まず絶対的に必要なのは「読者目線」になること。本書ではそれを「読者の帽子をかぶる」と表現しています。言い得て妙ですな。

「著者の帽子を捨て,読者の帽子をかぶる」というスローガンを思い出してください.著者は文章で書かれた内容をよく理解していますが,その立場をわざと捨て,何も知らず文章だけを頼りに進んでいる読者の気持ちになって読み返すことが大切なのです.

書いた本人がその文章を理解できるのは当たり前です。先ほども言いましたが、必要なのは読む人にとってのわかりやすさ。それを追求するために、自分が書いたという事実を推敲する間だけ忘れ去ってしまうわけです。くれぐれも完全に忘れてしまわないように。

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その具体的な方法のひとつとして、読者が疑問を持ちそうなところには先手を打って明確な答えを書いておいたり、そもそも疑問を抱かせるような言葉を使わないというものがあります。

例えば文章を書く人が無意味に使ってしまいがちな言葉として「ある意味では〜」や「基本的には〜」といった言い回しがあります。僕もかなり心当たりがありますが、なぜこれらの言葉を多用してしまうかというと便利なんですよね。こういう言葉を使っておけば、なんとなくそれっぽい。とりあえず使っておけば、文章が様になる。ような気がするわけです。

ただそんな書き手の都合は読み手からすると「クソ喰らえ」なわけです。「ある意味」という言葉を使うなら、他にどういう意味合いがあるのかを知りたい。「基本的」という言葉を使うなら、なにが基本でなにが例外なのか。これらの言葉を使うなら、そのあたりをキチンと説明するような文章も書くべきというわけですね。

「ある意味では」という語句は著者にとっては便利です.ややこしい説明を省略できるからです.しかし読者にとってはどうでしょうか.「ある意味ってどんな意味だろう」と疑問が浮かんでしまうため,読者はすっきりしません.著者は手を抜かずにきちんと「ある意味」を説明しましょう.それが《読者のことを考える》という原則を守る態度です.

手っ取り早いのが、そういった曖昧な言葉をそもそも使用しないという方法でしょう。常にハッキリした言葉を使えば、読み手に対して下手に疑問を抱かせずに済みます。もちろんそういった言葉が悪いというわけではないですが、使用するなら「それが何を意味するか」の説明の義務があると考えるべきです。

完全な読者目線になるというのは難しいように思うかもしれませんが、このように「読者がこれを疑問に思うだろうか」と常に最悪を想定しながら読んでいけば、自然と他人から見ても読みやすい文章に仕上げることが可能となります。

推敲に対しての考えが変わる一冊

「この本ってタイトルに”数学”ってつける必要あるのだろうか」というのが読み終わったときの感想でした。ただ強いて言うなら、心構えから具体的な方法に至るまで、推敲というものの答えを徹底的に追求しようとしている部分に著者の数学者的なソウルが読み取れたように思います(本業はプログラマーらしいですが)。それはそのままこの本に対する信頼感と言えるでしょう。

推敲の奥深い世界を理解することは、文章執筆それ自体にも良い影響を与えます。あまり「文章を推敲するということ」を意識したことの無い人には読んでほしい一冊です。

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