『モンテレッジォ 小さな村の旅する本屋の物語』なぜ本で行商が可能だったのか

『モンテレッジォ 小さな村の旅する本屋の物語』という本に出会ったのは「ノンフィクション大賞2018」の最終選考に本書がノミネートされていたからだった。結果的には別の本が大賞を獲得したわけだが、読書行為よりも本という存在自体が好きな自分としては本書はタイトル・表紙ともに惹かれるものがあった。

その内容にも興味をひかれるものがある。舞台となるイタリアのモンテレッジォという村には、かつて本を担いで行商する人がいたという。現代では考えられない話だ。またイタリアの権威ある文学賞「露天商大賞」の起源もこの村にあるらしい。タイトルで「小さな村」などと言っているくせに、すでにこれだけの気になる要素を大量に内包している。その謎を実際にイタリアの地を旅して解き明かしてくれたのが著者・内田洋子さんであり、その記録が本書である。

「読む」というよりは「見る」という感覚

本を手にとって最初に気になったのは装丁だった。天にあたる部分が妙にでこぼこしている。しかしその理由はすぐにわかった。本書は文中に非常に多くの写真が掲載されており、その部分はページの大きさが微妙に異なるため、結果的にでこぼこになっているようだ。だからといって特に読みにくいことも無いので気にはならない。むしろ著者が目にしてきた光景をビジュアルで追体験できる効果を発揮していると感じた。またこれらの写真を見ているとイタリアという国の美しさを再確認させられる。

内容として最も気になるのは、やはり「本の行商人」という存在である。流通の発達した現代では「行商」という言葉自体がフィクションじみた響きを帯びているのに、ましてや扱う商品が「本」だという。今の感覚では信じられない話だけに心が惹かれるものがある。なぜ本を売り歩くことを選んだのか、そもそも生計を立てられるほどに本が売れたのか。疑問は尽きない。

結論から言うと、それは本というものの価値や境遇が現代とは違うからということに尽きる。活版印刷の誕生はそれまで貴重品だった本という存在を庶民層にまで爆発的に普及させた。禁書という概念はかえって人々の本に対する渇望を助長させた。他にもさまざまな要因があって本の行商が可能だったことが本書の中で語られている。

あまり多くを書いてしまうとネタバレになってしまうので避けることにする。やはり本書は実際に読んで追体験的に味わってほしいという思いが強い。著者の簡潔かつ詩的な筆致とときおり挿入される写真は、読者が実際にその光景を目の当たりにしたような錯覚を引き起こしてくれる。

おわりに

ノンフィクション本大賞 最終選考会の様子を見てみると本書が次点として選ばれており、やはり本書に魅力を感じる人は多いようだ。大賞を取ってほしかった気がしないでもないが、だからといって本の持つ魅力が損なわれるということではない。


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