特徴のある文体を獲得するためには/『日本語文体論』

本書は名前のとおり文体を学問としてとらえる「文体論」についての本なので、自分のように「文体ってなんなんだろーなー」といった軽いノリで読み始めると面食らうかもしれない。ただ文体の定義や文体研究の方法などが幅広く論じられているので、「文体」というあやふやな存在を明確な形にするためのヒントを得ることができる。

この記事では「文体とはつまりは何なのか」という問いについての答えを、本書の内容を参考にしつつまとめていきたいと思います。

「文体」とは作者と読者の相互作用によって生まれるもの

かなり基本的な話での文体と言えば、例えば語尾に「ですます」と「である」のどちらを採用するのか、一人称をどうするか、といったものがある。それらも確かに広義の意味では文体を形作る要素には違いない。しかし本当の意味での文体はそのような「見た目」の問題ではなく、もっと深遠な営みの結果成り立つものなのだという。

本書のなかで、著者は文体を「作品を通して読者が作者とぶつかり合う行為の過程で現象として成立するもの」と定義している。つまり文体とは、作者から読者への一方的な働きかけではなく、読者から文章を通して作者を見通す作用があって初めて成り立つものと言える。

つまり、真正な意味での<文体>は、読者のスタイルをつかみ取った言語面での作者のスタイルであり、その背後に感じ取った人間の生き方である、と言うことができるだろう。

これは別の考え方をすれば、文体とは書き手がどれだけ趣向をこらしても、読者に見いだしてもらえばければ文体的特徴とは言えないということだ。つまり奇をてらっておかしな文章をこしらえても、それは単に変なだけで文体とは呼べない。読者が文章を通してその奥にある書き手の人間性を認めたとき、初めてそこに「特徴的な文体が存在する」と言えるのだろう。

ここで注意しないといけないのは、どのような作品にも文体は存在するということである。文体は他作品との比較の上で成り立つものであり、そうするとそれぞれの作品が文体を全く持たないということはありえない。つまり「文体がある」「文体を獲得する」という言い方をするよりは、「特徴的な文体がある」「強い文体性を獲得する」というように、文体の強弱を基準とした言い方がいいだろう。

特徴的な文体を獲得するためには

文体とは独立して存在しているものではなく、読者によって特徴づけられるというのは示唆に富んでいるように思う。そこからわかることとして、まず特徴的な文体というものは小手先だけのテクニックで獲得できるものではないということだ。文体とは、文章というフィルターを通して見える作者の人間性、生き方、思想といった類のものである。そう考えると文体的特徴とは狙って得られるものではなく、書いた人間の内面からにじみでるようなものと解釈できる。「この作家の文体は特徴がある」と言うようなとき、それは作者の文章というよりは、その作者の内面に蓄えられているものを見ているのではないだろうか。太宰治の文章を読んだときに、格調高いというよりはどこか人間臭く、それでいて厭世的な印象を受けるのは、創作や人間関係に悩み、ついには入水自殺を図った太宰治というひとりの人間を、文章を通して見ているからなのかもしれない。

それならば文章に関する諸々の技術は意味が無いのかというと、そうでもないだろう。さまざまなレトリック、豊富な語彙などがあれば、表現したいものをより効果的に文章のなかにあらわすことができる。選択肢が無数に存在するということは決して悪いことにはならない。肝心なのは、数ある選択肢のなかから自分にとって適切な表現方法を選べるかどうかだ。

最後に、あえて文体を獲得するための方法を考えるとしたら、それは何を読み、何を考え、何を書いたか、という一連の行動の積み重ねが、地味なようで最も近道に思う。少なくとも、ちょっと工夫すれば文体を獲得できるという甘い考えは持たないように、と自分を戒めておきたいところ。

おわりに

本書を読んだ収穫としては、なんとなく思っていた「文体は文章の表面に技巧をこらしたもの」という認識を是正できたこと。それに尽きます。軽々しく「文体」という言葉を使うことがはばかられるぐらいに、その奥深さに触れることができました。

本書は文体についての研究書という形式なので取っ付きやすいとは言えませんが、豊富な文例とそれについての作者解説で構成されているので理解は容易かと思います。文体ひいては文章に興味がある人は読みごたえがあって面白いかと。


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