影を持たずは人にあらず――『影をなくした男』

古本に挟まっていた栞がこの本を読んだきっかけとなった。そこには『影をなくした男』という作品が印象的な挿絵と共に紹介されていた(上画像参照)。しばらく経ってから古本屋でその本を見つけたとき、迷わずカゴに放り込んだ。

影をなくした男は何を得たか

タイトルのとおり、影をなくした男・シュレミールが物語の主人公である。ある日、彼は不思議なポケットからさまざまな道具を出すというドラえもんみたいな男(作中では「灰色の服の男」と呼ばれている)から取引を持ちかけられる。それは「幸運の金袋」を差し出すかわりに、あなたの「影」を頂戴したいというものだった。欲に目がくらんだシュレミールはその取引に応じてしまうのだが、それが彼の受難の始まりだった。

影をなくしたところで何も困らないと思う人は多いだろう。しかしこの世界に限ってはそうではない。人びとは影を持たないことは人非人の証明と言わんばかりに冷たい仕打ちをしてくるのである。大通りを歩けば女たちに「あれまあ、あの人、影がないじゃないの!」と誹りを受けるし、腕白小僧連中には馬糞を投げつけられる始末。尽きることのない富を手にしたシュレミールだが、失ったものはそれ以上に価値のあるものだったわけだ。

この世の中では功績や徳よりもお金が幅をきかせているとしても、そのお金よりも影のほうがなおのこと、なくてはならないものらしいのです。私は以前、良心のために財産を捨ててもかえりみなかったのですが、このたびはお金のために影を捨ててしまったのです。このさき自分はどうなるのでしょう、どうすればいいのでしょう?

影を失った代償は大きく、その後も召使いに裏切られたり、婚約が破談となったりとシュレミールの悲劇は続く。しかしそのなかで希望を見出していくのがこの話の救いである。忠義に厚い召使いであるベンデルや心優しき令嬢のミーナ、最後の場面からもわかるように、このふたりとの出会いは影をなくしたからこそ得られたかけがえのないものだった。『影をなくした男』は「失った人間」の物語などではなく、「得た人間」の物語なのである。

影とは何をあらわしているか

『影をなくした男』を読んでまず感じたのは「影」はなにかのメタファーなのではないか、ということだ。そのように捻って読まずとも楽しめる物語ではあるが、そう感じてしまったものは仕方がない。そしてそのヒントはどうやら作者・シャミッソーの生い立ちのなかにありそうだ。

シャミッソーはフランスの名門貴族の息子として生を受けたが、そのときに起きたフランス革命により貴族の特権を剥奪されてしまった。その後にドイツに渡って軍人として過ごし、ナポレオン戦争が終わる頃にようやくフランスへと帰ってきた。しかし生家はすでに取り壊されており、またドイツ軍人として過ごしたシャミッソーに対する親族の対応は冷淡だった。

つまり彼は幼少期には「貴族としての未来」を、そして青年になってからは「故郷」を失った男といえるだろう。こうして考えると『影をなくした男』というのはシャミッソー自身を投影していると考えるのが自然な気がする。主人公は物語後半で植物の研究に明け暮れるが、シャミッソーも植物学者の側面を持っており共通している。

主人公は影を失ったことにより絶え間ない苦しみに襲われることになるが、物語の後半からは希望に満ちた展開へと進んでいく。自分の分身ともいえる『影をなくした男』に、シャミッソーは暗い結末を用意したくはなかったのかもしれない。


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