『自省録』はどのように読むべき?/『マルクス・アウレリウス『自省録』―精神の城塞』

古代ローマ皇帝・マルクス・アウレリウスが書いた『自省録』は古典の中でもかなり有名だが、同時にかなり特殊な本でもある。まずこの本は皇帝が自分自身に向けて書いたものであり、人が読む想定で書かれたものではない。だから構成もバラバラだし、内容も意味深長な部分が多い。個人的にはそんなところも含めて『自省録』は好きなのだけれども、人を選ぶという点も否定はできない。

今回とりあげるのは、その謎多き『自省録』を解説した以下の本。

岩波書店の「書物誕生シリーズ」の中の一巻。タイトルは『マルクス・アウレリウス 『自省録』―精神の城塞』となっているけれど、長いし、本家と紛らわしいので、この記事では便宜的に副題の『精神の城塞』と呼ぶことにします。

本書はまずマルクス帝の生い立ちや当時のローマの状況を追いかけていき、後半では『自省録』とはどういった書物なのか、どのように読むべきなのか、という点に触れていく。『自省録』がとっつきにくいと思った人は、まずこの本を読めば準備が整う。また元から『自省録』が好きな人は、よりその魅力に取り憑かれてしまう。そんな一冊です。

自省録の魅力とはなにか

『自省録』という本の魅力はどのようなところにあるのだろうか。

まず非常に根本的なことかもしれないけれど、『自省録』は存在していることそのものに大きな意義があると言える。本はそう簡単には生き残ることはできない。ベストセラー小説だって、数年後には記憶の片隅にも残っていないこともある。それほど本というものは競争が激しい。その点で、数百年以上も読み継がれているシェイクスピアやゲーテなどの作品群は、良い意味で異常と言える。

そのように考えると、『自省録』の異常性は群を抜いている。『自省録』が書かれたのは西暦170年代頃だと言われている。約1850年前だ。またその時代には活版印刷の技術などもなく、書物が時代を越えて受け継がれていくということは奇跡に近かった。このことは、それだけ当時の人にとっても、後世の人にとっても、『自省録』の内容に心を打たれる何かがあったことの証明に他ならない。

活字で印刷された書物の形態に慣れた現代人にとっては想像しにくいことだが、古代世界にあって1冊の書物が伝承されて今日に伝わるというのは、ある意味で奇跡的なことである。

古典だから絶対に面白いというわけでもないだろうが、それが生き残っているのは何かしらの理由が確実にあると考えるべきだろう。個人的には五賢帝の最後の一人であるローマ皇帝の考えていたことを現代に生きながら知ることができるというのは、それだけでワクワクしてしまう。

またこの本全体から漂う哀愁のようなモノも魅力のひとつと言える。マルクス帝は「哲人皇帝」とも呼ばれるように、皇帝である前にひとりの哲学者だった。読書と執筆をこよなく愛する人だったという。そんな彼にとって約束された皇帝の地位は必ずしも望ましいものではなかったのかもしれない。また即位後は受難の連続であり、心が休まる暇は無いに等しかっただろう。

そんな彼にとってこの『自省録』を記している時間は、自分と向き合える唯一の時間だったのかもしれない。『自省録』の内容は力強い言葉も目立つものの、それ以上に「死」や「人間関係」に類するものが多い。皇帝の心中をそのまま表しているのだろう。第一巻はグラン河畔という場所で書かれたと巻末に記されている。河のほとりで物思いに耽りながら筆を執っている皇帝の姿を想像すると、なんともいえない情緒を感じてしまう。

自省録をどのように読む?

最初にも言ったように『自省録』は人が読む前提で書かれたものではないので構成なんてモノは無いに等しいし、抽象的すぎて意味がつかめない箇所もある。読もうとする人を突っぱねるようなことも珍しくは無い。じゃあこの本はどのように読むのが最も間違いが無いのだろうか。

著者が勧めているのは「第二巻から」読むという方法だ。自省録の一巻は全体から見ると少し特殊な内容であり、ややもすると退屈に思う人もいるかもしれない。それに反して第二巻~第十二巻までは、内容に統一感こそ無いものの、形式はほぼ同じだ。まず第二巻から最後まで読み、そして第一巻に戻るというのが比較的に読みやすいというわけである。

初学者が『自省録』を読む場合、第二巻から始めて全体を通読した(もしくは相当量を読み進んだ)後に、改めて第一巻に戻る読み方を、筆者は勧めている。

個人的にもこの方法はおすすめしたい。第一巻も自分は好きだけれど、全体の中で最も心に響く内容があるのは第二巻だと思っている。最初に第二巻から読み始めるのは『自省録』の奥深さにいち早く触れることに繋がると思う。もちろん第一巻から読むのが間違いというわけではない。自分は最初から順々に読みました。

そもそも『自省録』の巻や章の振り分けは、マルクス帝の意図によるものではなく、後世の編集者によるものである可能性が非常に高い。そういった理由があるので、極端なことを言えばどこから読み始めようが問題は無い。逆に考えればそういった自由な読み方ができるのは、この本の良さだろう。パラパラッと開いてみて、気になる箇所だけ拾い読みしてもいいわけだ。

つまり、現行の章別は決して著者マルクス自身によるものではなく、章ごとに書かれたことを意味しない。

そういった一見するとそれぞれが独立した文章を読んでいくうちに、段々とそれらに共通するマルクス帝の思想が自身の中に堆積されてくる。また手記でありながら『自省録』の文章の中には優れたレトリックも多く見られる。そういった点も読み取ろうとすると、いっそう面白いのではないかと思う。

おわりに

『自省録』はもともと好きな古典ではあったものの、本書を読むことでその奥深さにもっと踏み込むことができたように思います。好きな本の解説本を読むというのは中々におもしろいもんで。

本の読み方は他人に言われたとおりにするものでも無いとは思うけれど、ひとつの方向性を示してもらうのはプラスに働きます。そういった点で参考になる本でした。

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