自分の認識をありのままに表現するための『レトリック感覚』

正直なところこの本を読む前は「レトリック」という言葉の意味をよく理解していませんでした。調べてみても「巧みな表現をする技法。また、修辞学」というシンプルな一文しか書いていない。「よくわからないけど、小粋な文章を書くための技法のようなものなんだろう」という程度の認識でした。

ただ本書を読むと、その考えはどんどん覆されていきます。レトリックにはもちろん「文章を魅力的にする」という役割はあります。しかしそれとは別に「自分の認識を正確に伝える」という、想像とは真逆の役割をも持ちあわせているのだという。本書ではそれをレトリックが持つ「発展的認識の造形」と呼んでいます。

全編にわたって興味深い内容の連続で、久しぶりに名著に出会った感じ。本書の中にはレトリックの実践的な技法として、

  1. 直喩
  2. 隠喩
  3. 換喩
  4. 提喩
  5. 誇張法
  6. 列叙法
  7. 緩叙法

の7つが紹介されていますが、これらはこの記事では敢えてあまり触れません。

それよりなによりも、個人的に非常に面白く、非常に刺激的だった「レトリックが持つ意外な役割」に関して書いていきたいと思います。

「弁論術」「装飾」としか考えられてこなかったレトリック

遡れば、レトリックは古代ギリシャで生まれました。用いられた時はもっぱら「弁論術」としての役割を持っていたそうです。相手を言い負かすために、比喩や誇張などを駆使して印象的な話し方をすることが重要だったわけですね。そしてこれがレトリックの持つ「第一の役割」でした。

ここに、レトリックのまず第一の機能がはっきりあらわれた。すなわち、前に触れたように説得する表現の技術という役わりである。

レトリックは文章上の技法というように思いがちですが、実は初期段階では弁論に用いられていたのは意外なところです。古代ギリシャでは文章よりもむしろ「対話」が重要視されていたという話を聞いたことがあるので、当然といえばそうなのかもしれません。

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しかし次第に状況も変わってきました。実用的な役割として使われるうちに、レトリックには「対象をより魅力的に表現する」という役割も持っていることに気がついていったわけです。これが「第二の役割」であり、芸術や文学などでもレトリックが広く使われるようになった要因と言えます。

芸術的あるいは文学的表現の技術という、第二の役わりである。

僕にとってのレトリックの認識とはまさにこの第二の役割でしかありませんでした。単調な文章でもちょっとした比喩表現があれば、途端に魅力的になったりもする。下卑た言い方をすれば、そういった小手先のテクニックといった印象しか持っていませんでした。

しかし著者はレトリックはそのような装飾的な意味合いにとどまる面白みのないものでは無い、と言います。それが冒頭でもちょろっと触れた、レトリックの第三の役割である「発見的認識の造形」なのです。

見落とされてきたレトリックの「第三の役割」

「発見的認識の造形」と言われても、それだけを聞いてもよくわからないですよね。ただどういうことかを知れば誰しもが当たり前にやっていることであり、単にそれを認識していないだけのことです。

僕たちは言語というものを完璧なものと錯覚しがちです。しかし実際には見たり感じたりしたものに対して、それにピッタリの言葉が見つからなくてモヤモヤすることはよくあるのではないでしょうか。

それは決して語彙力の問題などではありません。言葉の数というのは有限であり、それに対して人間の感情やこの世界の事象は無限です。それゆえに、感じたことをひとつの言葉で表現するというというのは無理のある話なのです。

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ではその重大な問題を、人間はどのようにして乗り切ってきたのでしょうか。それがレトリックが持つ第三の役割というわけです。

例えば赤ちゃんが生まれた時に、親はその子が可愛くて仕方が無いでしょう。しかし単に「かわいい」と表現するのでは、自分の持つこの感動的な思いを乗せるには不十分に感じます。そんな時に人間はそれを「玉のようにかわいい子」「私の宝物」というような直喩隠喩の表現を用いて、より自分の感情に見合った形で物事を説明しようとしてきたわけです。

つまり自分の内面に生まれた認識を、より正確に表現するためにこそレトリックが必要になるということであり、それが繰り返し言っている「発見的認識の造形」ということなんですね。

森羅万象のうち、じつは本名をもたないもののほうがはるかに多く、辞書にのっている単語を辞書の意味どおりに使っただけでは、たかの知れた自分ひとりの気もちを正直に記述することすらできはしない、というわかりきった事実を、私たちはいったい、どうして忘れられたのだろう。

本当は、人を言い負かすためだけではなく、ことばを飾るためでもなく、私たちの認識をできるだけありのままに表現するためにこそレトリックの技術が必要だったのに。

レトリックは僕が思っていたような小手先のテクニックで片付けられるようなものではなく、むしろ人間が何かを表現するためには決して欠かせないものです。有限である言語が、無限の事象を表現しようとするときに、レトリックの力なくしては不可能なのですから。


ここまでが序章にあたる部分の話なのが、この本の恐ろしいところです。これを前提として各章を読み進めていくわけですね。もちろんそれぞれの章に書かれている内容もハッとさせられるような指摘の連続です。またレトリックの達人たちの例文が豊富にあげられているので、わかりやすく、楽しみながら読むことができます。

表現というものに関わりがあったり、興味を持っていたりする人全般に勧めたい名著です。特に文章を書く人なら絶対に読むべし。今年一番面白かった本かもしれません。

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