知識の化学反応は乱読で起こす/『乱読のセレンディピティ』 外山滋比古著

乱読のセレンディピティ

本を愛する人からすれば、「乱読」という言葉を見るとモヤモヤするかもしれません。読書法に関する言葉には「精読」「多読」「速読」などがありますが、どれも本に対するリスペクトが奥に存在します。

それに反して「乱読」という言葉は、本を雑に扱うようなイメージを持ってしまうかもしれません。 しかし本書を読んでいくと、乱読は決して本を無碍に扱うような読書法ではないことがわかってきます。むしろ本の数が多い現代では、乱読は効果的な読書法と言えるでしょう。

今回取り上げる本のタイトルである「乱読のセレンディピティ」とは一体なんなのか、また乱読によって何がもたらされるのかを中心に、読書感想を書いていきたいと思います。

「乱読」によって「セレンディピティ」を引き起こす

まず「乱読」とはどういった読書法なのだろうか。

乱読はジャンルにとらわれない。なんでもおもしろそうなものに飛びつく。先週はモンテーニュを読んでいたがちょっと途中で脱線、今週は寺田寅彦を読んでいる。来週は『枕草子』を開いてみようと考えて心おどらせる、といったのが乱読である。

乱読とはひとつのジャンルにこもらず、次々に異なるジャンルに飛びつく読み方と言える。

読書が趣味という人は多いと思うけど、それでもその趣向が偏っている事が多い。小説は全く読まずに、ビジネス書ばかり読んでいる人がいれば、またその逆もいる。更に言えばビジネス書というジャンルの中でだって、マネジメント系の本を中心に読む人もいれば、金融系ばかり読む人もいる。

乱読とはそういった興味の偏りを放棄して、ひたすらにジャンルとジャンルの垣根を飛び交う読み方だ。

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次は最近頻繁に聞くようになった「セレンディピティ」という言葉。

辞書を見ると
セレンディピティ(serendipity)思いがけないことを発見する能力。
とくに科学分野で失敗が思わぬ大発見につながったときに使われる。

「発見する能力」と書いてあるけど、ここではむしろ「思いがけない発見そのもの」と捉えたほうがいいかもしれない。

つまりは「乱読のセレンディピティ」の意味するところは、「思いがけないことを発見するための読書術」と考えることができる。と言うか、本の表紙にそう書いてあった。

乱読が与えてくれる効用

しかしこれだけでは、乱読がなぜ思いがけないことの発見に繋がるのかの具体的な理由がわからない。普通に読書をしていても色々な発見がありそうなものだし、ひとつのジャンルに固執していたほうがより知識も深まりそうに思える。

しかし著者は、狭いジャンルの中に閉じこもるような読書家を「専門バカ」と一蹴している。

せまい専門分野の本ばかり読んでいると、われわれの頭はいつしか不活発になり、クリエイティブでなくなる。

(中略)

専門バカがあらわれるのも、タコツボの中に入って同類のものばかり摂取しているからで、壺から出て大海を遊泳すれば豊かな幸にめぐりあうことができる。

専門知識を身に着けたいからといって、そのジャンルの知識ばかり吸収していると視野が狭くなってしまう。確かに本を読めば知識は増えるけど、その知識を実際に活用するべきは現実の生活だ。そういう点で、専門分野に特化しすぎるのは危険なことであるというのが著者の考え方だろう。知識を得ることがゴールになってはいけないってことだね。

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乱読の最も大きい効果に「他ジャンルとの化学反応」がある。新しいアイデアは、いつだって全く異なるもの同士の融合によって生まれる。そういう意味ではジャンルを飛び回る乱読は、最も知識間の化学反応が起きやすい読書法と言える。

僕はメモ帳にアイデアを頻繁に書き込む人間だけど、新しいアイデアが生まれるのは過去のメモを読み返している時が多い。過去に書いた一見なんの関連もないような書き込みが、組み合わさることで新しいアイデアに変貌するのだ。これもある意味では乱読の効用によるものなのだろう。別のページに書いたアイデア同士が化学反応を起こしているわけだ。

また読書によってそのまま得た知識よりも、そういった化学反応によって発見した知識のほうがより人生に定着しやすく、糧となることが多い。読書から愚直に知識を得ることが悪いわけではないけど、より実戦的な知識を得るためには乱読によってセレンディピティを引き起こすほうが価値があるのだ。

効果的な乱読の仕方

乱読の有効性がなんとなくは理解できてきたので、最後に具体的にどのように乱読を行えばいいのかを見ていこう。

まず必要な心構えに「失敗を恐れない」ということがある。

いくら賢い人でも、乱読すれば、失敗は避けられない。しかし、読めないで投げ出した本は、完読した本とはちがったことを教えてくれていることが多い。失敗をおそれない――それが乱読に必要な覚悟である。

普段読まないジャンルの本を読んで見る。途中まで読んでみたら、思いのほかつまらない本かもしれない。だからと言って「もったいない」などと思って、無理にその本を最後まで読もうとは思ってはいけない。その時は「それだけの価値の本だった」と割りきって別の本を読む。そういった考え方が、乱読には必要なのである。

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本を読み捨てるような行為に嫌悪感を抱く人もいるかもしれないが、著者はむしろ読み捨てたほうが本は心に残ると述べている。

わからないから、途中で放り出すかもしれないが、不思議なことに、読みすてた本はいつまでも心に残る。

この理論はまったくもって具体性に欠けているが、つまりは以下のような理由らしい。

どうも、人間は、少しあまのじゃくに出来ているらしい。一生懸命ですることより、軽い気持ちですることの方が、うまく行くことがある。なによりおもしろい。このおもしろさというのが、化学反応である。

つまりは本にこだわりを持ちすぎず、様々なジャンルの面白い部分だけを拾い読みしていくのが著者の言う「乱読」であり、さらにはそれがセレンディピティを引き起こすということなのだろう。

乱読とは、あくまで読書を面白くする方法なのである。

乱読は専門知識を活かすためのもの

ここまでは本書に書かれた内容を中心に書いたけど、これだけを読むと専門知識をないがしろにしているように見える。しかし実際はその逆で、乱読は自分の専門知識をさらに広大なものにするための方法と言える。

例えばマーケティングを学びたいからといって、そのためにマーケティングの本ばかりを読めばいいというものではない。マーケティングを活用するのは、あくまでその周りに広がっている世界に向けてだからだ。だったらその世界に対する知識だって、当然持っていなければいけない。

そのための一つの方法として乱読は有効である。様々なジャンルの本に触れていくのは、専門知識を実際に活用する際に、広がりを持たせることに繋がる。広い視野を持っているからこそ、ひとつに特化した知識が生きるのである。

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乱読の練習として、新聞は最適らしい。

新聞は乱読の入門テキストとしてうってつけである。

新聞は全部を読むわけにはいかない。だから嫌でも必要な部分だけを拾い読みすることになる。乱読に必要な技能が自然と身につくのだろう。

乱読に興味を持った方は、新聞と向き合ってみるといいかもしれない。もちろん、本書も乱読の教科書としてはおすすめ。

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