「話すように文章を書く」ってどういうことなんだろう?

文章について考えることが好きなので、そういった本や記事はよく読みます。その中でよく見かける指南が「文章は友達に語りかけるように書こう」というもの。

なるほど、言いたいことはわかる。そりゃあ友達と会話をするような感じで文章が書けたら、読み手が心を開いてくれる可能性が上がる。ただ具体的にどういった文章が語りかけるような文章なのか、それをどうやって書けばいいのか。それがイマイチわかりにくい。

そういうわけで、少し考えてみた次第です。

一人二役で文章を書くイメージ

会話に必要なのはやはり「相手」。ブログ記事というのは基本的には独白形式で書いてくものだけど、それに「自分と相手の対話」のような雰囲気を出せれば、話すような文章に近づくかもしれません。

そんなことを考えている時に思い出したのが、『人を操る禁断の文章術』に書いてあった方法。それはまずあるテーマについて一人二役で対話をして、最後にそれを文章にまとめるというもの。

例えば、以下のような会話があったとします。

相手「話すような文章って何だろう?」
自分「まず話すには相手が必要なわけだから、そこに相手がいるように想定すればいいんじゃないかな」
相手「でもそれって具体的にどうやればいいの?」
自分「一人二役の会話をイメージしてみて、それを文章に置き換えるといいよ」

今度はそれを通常の文章に置き換えてみます。

では「話すような文章」とはどういったものなのでしょうか。まず話すには相手が必要です。つまり、文章でもそこに相手がいるように想定して書けば、「話すような文章」になるかもしれません。具体的にどうすればいいかというと、まずは一人二役の会話を文章に置き換える方法があります。

こんな感じで会話を文章に直していくわけです。

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もちろん毎回まず会話文から文章を作っていくのは面倒極まりないので、あくまでこれはイメージの話です。文と文の間で「ここを読んだ人がどう思うか」「ここを疑問に思うんじゃないか」ということを予想して、それに適した文を書いていくことが大切なわけですね。

文学作品は「行間を読め」と言われますが、それは書き手も同じです。行間にある読み手の心理を想像しながら文章を書くことが、まるで語りかけているような文章を書くことに繋がるのではないかと思います。

簡潔に書いてテンポを出す

会話と言うと短く、簡単な言葉でのやり取りが多いです。逆に文章は何かと冗長にしたがる人が多いです。

文章は論理的に自分の考えを伝える必要があるので、情報を必要以上に付け加えてしまいがちです。会話であれば疑問や質問があればすぐに相手が聞き返してくれますが、文章は基本的にそういった即効性がありません。誤解の無いように情報を伝えたいばかりに、つい冗長な文章になってしまうわけですね。

また長ったらしい文章を書いてしまうのは、学校での読書感想文や論文で、とにかく文字数を稼ごうとしてきたことの弊害もあるでしょう。「短く簡潔に文章を書くことが大切」なんてことは、学校では教えてくれません。

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つまりは文章でもポイントを抑えて、必要最低限の言葉だけで要点を伝えると、会話のようなテンポの良さが出るのではないかと。「一文を長くしない」という基本的なことも大切だと思います。

推敲してみると、文章の中で何の役割も果たしていない部分は意外と多いです。そういった部分は言ってみれば「文章の贅肉」のようなものなので、削れるならどんどん削るに限ります。文字数がもったいないと思うかもしれませんが、実際はそれだけの内容しか詰まっていなかったというだけです。見かけだけの文字数よりも、内容を充実されることに努めましょう。これ、自分に言い聞かせています。

会話にあって、文章にないもの

疑問だった「話すように書く」ということについて考えてみましたが、うーん難しい。

会話にあって文章に無いものは「相手の心理によって柔軟に返答できる」ということや「最低限のやり取りに終始するテンポの良さ」があります。それを文章でも再現するべく「行間にある読み手の心理を考える」「簡潔に短く書く」といったことを行うと、「話す」と「書く」を近づけることになると思った次第です。

最近読んだ本で、「この本は音声入力で執筆しました」と書いてあって驚いたことがありました。ある意味ではそれは「話すように書く」ということの完成形なのかなと思います。技術の進化すげー。

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