読書と文章における『知的生産の技術』を考える

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学校の先生は学問を教えてくれても、勉強の仕方は教えてくれない。その点に問題意識を感じている著者が、あらゆる知的生産の技術についての提言を行っているロングセラー本。

気を付けたいのは、この本は決してハウツー本では無いということである。本書の中で著者が言っているように、この本は従来の知的生産に関しての問題提起であり、それを読んだ読者が刺激を受けて自分だけの「知的生産の技術」を開発するきっかけとなることを想定している。

この本の役わりは、議論のタネをまいて、刺激を提供するだけである。

だからこそ、その内容が現代にも適用しやすく、多くの人に読み継がれる要因となっているのだろう。特に「発見の手帳」や「京大式カード」などは現代で主流となっているメモ術の基礎となっている点が多い。1969年に出版されたとは思わせないほど、響く内容にあふれている本だ。

この記事では『知的生産の技術』の中から、当ブログでの中心テーマである「読書」と「文章」について書かれた部分についてまとめたいと思います。本来なら全部の章を取り上げたいぐらいだけども、長くなりすぎるので。

本は最初から最後まで読む

本も勉強と同様に、その方法を教わらないものである。しかし『本を読む本』や『読書について』を始めとして、現代までに様々な読書術の本が出版されているのを見ると、やはり読書にも相応の技術というものが必要なのではないかと考えさせられる。

著者も「本ずきのよみべた」とならないために、読書についての技術や心構えの大切さを述べている。その中のひとつが「最初から最後まで読む」ということだ。本はいわば作者の思考過程をたどることであり、それは対話のようなものである。作者の言いたいことを正確に理解したいのであれば、本全体の構想、文脈に触れることは最低条件なのだと言うわけである。

娯楽としての読書なら別だが、一般には著者の思想を正確に理解するというのは、読書の最大目的の一つであろう。内容の理解がどうでもよいのなら、なにも時間をかけて読書などする必要はない。内容の正確な理解のためには、とにかく全部よむことが必要である。

そのあとにも「拾い読みは読書方法としては非常に下手だ」などと書いてあり、速読派の人が見たら発狂しそうな内容につぐ内容である。

自分は著者のこの考え方に賛成だ。本は作者の思考過程をたどることを刺激として、自分の思考を育て上げるものだと考えている。そうなると、どうしても本全体を読むのは必須となるのである。速読を否定するわけではないが、好みの話としても、本はゆっくり読みたい派だ。

本は一気に読む

また著者は「本は一気に読むことが吉」と言っている。本は何日もかけてコツコツと読むよりは、一気に読んだほうが内容を理解しやすいということだ。

すこしずつ、こつこつよんだのでは、構築されたひとつの世界が、鮮明な像をむすばないのである。本は、一気によんだほうがよい。

確かに読みかけの本を一週間ぶりに開いてみると、その前の文脈が思い出せず、結局は戻って読み返すはめになることが多い。その点で一気に読めばそういったことはまず起こらない。積み重ねてきた作者のロジックが記憶に残っているからだ。可能なのであれば、本を開いたらそのまま最後まで読むというのは理想に思える。

ただ実際はそうもいかない。時間的な制約もあるし、なによりそんなに集中が続く人のほうがまれだ。集中力を維持する方法として、著者は複数の本を並行して読むことを勧めている。これは自分もおすすめの方法だ。例えばお堅いノンフィクションを読んでいて疲れたら、軽めの小説を読んだりするわけである。そうして様々なジャンルの本をローテーションすると、意外と集中が持続するものだ。松岡正剛さんが『多読術』の中で言っていた「本の休憩を本で行う」という感覚だ。

ローマ字で書くと、文章がわかりやすくなる?

個人的におもしろいと思ったのが、著者がローマ字文章の使い手であるということである。これは当時はパソコンはなく、主流だったタイプライターも日本語に対応したものが少なかったので、そこから編み出した苦肉の策と言える。

それだけなら「まあ、そんな人もいるんじゃん?」で終わってしまうのだけれど、興味深いのはローマ字で文章を作り続けるうちに、著者に変化が起きたということだ。

それはローマ字を使ううちに、わかりやすい言葉を選ぶようになったということである。ローマ字だと難しい言葉や長い言葉はパッと見では意味がわかりにくい。どうしても簡単な言葉を使わざるを得なくなる。それが著者の文体をわかりやすいものに変化させたというのである。

ローマ字は表音文字だから、むつかしい漢語をたくさんつかうと、意味が通じにくくなる。そこで、なるだけ耳できいてわかることばをつかうようになる。その結果、わたしの文章は、文体からして、すっかりかわってしまうことになった。

この本を読んで思うのは、著者の文章はひらがなが多いということだ。特徴的な文体ではあるのだが、それでいて非常に読みやすい。もしかするとそれはローマ字で文章を構成していたことが関係しているのかもしれない。石川啄木がローマ字で日記を書くようになってから、文章がよくなったというエピソードも非常に興味深い。

ローマ字と文章力との関連性は、調べてもそれに言及しているページなどは見当たらない。ただもしかしたら、ローマ字で文章を構成してみるというのは、文章の練習としては新しい視点となるのかもしれない。

なにごとも実行が肝心

締めくくりとして著者が言っているのは、実行が大切ということである。

くりかえしいうが、実行がかんじんである。実行しないで、頭で判断して、批判だけしていたのでは、なにごとも進展しない。

本書を読むと、刺激を受けて様々な「知的生産の技術」を試してみたくなる。それは著者が実践している方法化もしれないし、自分が思いついた新たな方法かもしれない。ただそれらも結局は実行をしないと何の意味もないということだ。技術も思考も、自分の人生に活用して始めて意味を成すものである。その点は常に頭に刻んでおかないといけない。

読みやすい本なので、一日もあれば余裕で完読できると思います。しかしその内容には感じ入るところが多いです。人は生きていれば学ぶものだと思うので、その方法のヒントを与えてくれる本書はすべての人におすすめです。

本書の著者が発案した京大式カード。ありそうで無い形状。

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