本は時間があったら読むな/『思考のレッスン』

「丸谷才一という人は何者なのか」というのは自分にとって大いなる疑問だった。『文章読本』を読んだ後に同じ疑問を持つ人は多いのではないだろうか。べつに謎に包まれた人生を送った人でもないのでインターネットで調べればかなりの情報を知ることができるわけだが、やはり文筆家の素性は本人が書いた文章から知りたい。その点で本書は丸谷才一という人を知る上で、かなりの良書であると思う。

とにかく驚かされるのは古今東西の文学についてのドン引きするぐらいの知識量と、それでいて非常に柔らかい考え方をしていることだ。構成はインタビュー形式となっており、その対話(と言っても丸谷才一の一人二役なわけだが)を眺めているなかで自然と丸谷才一の人となりが流れ込んでくる。『思考のレッスン』という題名どおり、考えることの大切さや面白さを教えてくれる本だが、本人の豊富な知識と人脈から繰り広げられる文学裏話も楽しむことができる。単純な読み物としても充足感を味わえる一冊となっている。

知識の「ホーム・グラウンド」を持つ

ホーム・グラウンドというのは得意分野と言い換えてもいい。自分にとって絶対の自信を持つ領域ということである。丸谷才一はそれを持つことが思考する上では大切だと述べる。その理由として、ホーム・グラウンドを持っていれば、それを物差しとして他の分野の理解を深めることも可能になるからだ。本書の中の一例として、丸谷才一は蜀山人の狂詩に対して、自分のホーム・グラウンドであるジェイムズ・ジョイスを尺度にして考えを深めた話があげられている。丸谷才一はジョイスから多大な影響を受けた人であり、『ユリシーズ』の翻訳を手掛けたほどである。そこまでの情熱を傾けたなら立派すぎるほどのホーム・グラウンドと言っていいだろう。

ものを考えるときに、単一のテーマを掘り下げていっても上手くいかないことは多い。そういうときに自分なりのホーム・グラウンドを持っていると、それと掛け合わせて新たな発想を生み出すことができる。

何かものを考える場合、常に複数の主題を衝突させて、それによって考えて行くとうまく行く、あるいは考えが深まることがよくある。その原則をいまの話に当てはめてみると、当面の対象と、自分のホーム・グラウンドとをぶつけることによって、新しいものの見方、発想が出てくるんじゃないかという気がします。

本に逃げず、最初にまず考える

印象的だったのは「まとまった時間があったら本を読むな」と著者が言っていることである。つまり何かを論じたいとき、それについていきなり本を読むのではなく、まず考えることが大切というわけである。

何かに逢着したとき、大事なのは、まず頭を動かすこと。ある程度の時間をかけて自分一人でじーっと考える。考えるに当って必要な本は、それまでにかなり読んでいるはずです。頭のなかにあるいままでの資産を使って考える。

必要な本は読んでいるはず、という強気な言葉は丸谷才一だからこそ言えるのかもしれないが、それでも我々にも思うところがあるのではないだろうか。インターネットの登場により、人はじっくり考えることをしなくなった。もちろん素早く疑問を解決できるのは素晴らしい。しかしそれと同時に、上っ面の知識に甘んじることも増えているわけである。自分の血肉とするのであれば、やはり自分の頭で考える時間は欠かすことはできない。ショウペンハウエルが「多読家は自分でものを考える力を失っていく」と批判的に言っていたが、丸谷才一が言うところもこれとまったく同じことなのだろう。

おわりに

丸谷才一の文章が面白いのはその広い知識によるものでもあるが、本人が言うように「遊び心」を大切にしているからなのだろう。この本の構成自体がひとりで執筆していながらインタビューの形式を取っており、そこからすでに丸谷才一の遊びは始まっているのである。

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