歴史を学ぶ意義はあるのか/『歴史とは何か』

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数ある教育科目の中でも「歴史をどうして学ぶのか」と疑問を抱く人は多いかもしれない。自分も少なからずそういった考えがどこかにあった人間だけれども、この本を読むことでその疑問がかなり氷解したように思います。

本書で繰り返し語られているのは「歴史とは現在と過去との対話である」というコト。つまり過去を知ることによって現代を理解することができ、同時にまた現代を知ることは過去を理解することになる、それが歴史の持っている双方向的な機能だというのである。

歴史を学ぶ意義など特に説明されずに教育を受けてきた我々が読むと得るところが多い本。

歴史に客観的な事実など無い

本書でまず前提とされているのは「歴史とは歴史家の解釈によって初めて成り立つものであり、そこから独立して客観的に存在する歴史的事実なんてものはない」ということだ。言い換えるならば「歴史における事件や人物の信ぴょう性は特に重要ではない」という感じだろうか。

歴史は必然的に選択的なものであります。歴史家の解釈から独立に客観的に存在する歴史的事実という堅い芯を信じるのは、前後顛倒の誤謬であります。しかし、この誤謬はなかなか除き去ることが出来ないものです。

例えばよく耳にするのが「歴史は後世の人々が都合よく記したものだから嘘も多い」というような意見だ。事実、そういった側面もあるだろう。しかし著者はそれを十分に理解した上で、「歴史的事実という堅い芯を信じるのは、前後顛倒の誤謬」と言い切る。では事実を正確に伝えるものでは無いとすれば(もちろん正確性があればより良いのだろうが)、歴史が持つ意義・機能とはいったいどのようなものなのだろうか。

歴史を知る意義とはどのようなものか

冒頭で先走って言ってしまったように、歴史は現在と過去を両方照らし出す双方向的な機能を持っている。つまり過去を見ることで現代の出来事を照らし出すことができるし、反対に現代を見ることで過去の出来事に価値を与えることができるわけだ。

過去は、現在の光に照らして初めて私たちに理解出来るものでありますし、過去の光に照らして初めて私たちは現在をよく理解することが出来るものであります。

例えば現代の社会を評価するときには、当然ながら過去と比較する必要が生まれてくる。言い換えればそれは過去によって初めて現代の出来事に価値を与えられるということだ。またその反対も成り立つ。過去に起こった諸々の出来事に価値があるどうかを決めるのは、現代に生きる人の視点だ。明治維新だって産業革命だって、起こった当時からいきなり歴史的大事件として扱われていたわけではない。後世の歴史家がそれを書いた当時の視点から見たときに、その出来事に大きな価値を見出したから、ひとつの歴史として今も語り継がれているわけである。

つまり歴史を知るとき、我々は過去の事象に目を向けているつもりでも、その先にある現代の社会にも目を向けていると言える。

人間に過去の社会を理解させ、現在の社会に対する人間の支配力を増大させるのは、こうした歴史の二重機能にほかなりません。

著者は歴史から得られるのは「教訓」とも言っているが、これが一番わかりやすいかもしれない。起こるべくして起こった過去の出来事は、一般化することでどの時代・人種にも適用することのできる法則を生み出す。それを我々は現代に生きる上での行動指標にすることができる。

ここでも、われわれは合理的原因と偶然的原因とを区別いたします。前者は他の国々、他の時代、他の条件にも可能的に適用され得ますので、有効な一般化を生み出し、したがって、そこから教訓が得られるのです。それはわれわれの理解力に深さと広さとを与える働きをします。

またその教訓に従って行動を続けていくことで、過去の出来事の重要性をより一層理解していくことに繋がる。歴史を学ぶということは、過去と現代を絶えず行き来するようなものであり、これが「歴史とは現在と過去との対話である」という著者の言葉の意味するところだろう。

おわりに

新書という形式の本にこれだけの情報量を詰め込めるのか、というぐらいに非常に濃厚な1冊です。教養書である新書本来の姿かなと思います。個人的には「歴史に客観的事実は重要ではない」ということを知れたのが収穫でした。

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